October 19, 2017

短編小説 「きのうのあした」

今朝、一匹の猫が届いた。黒猫だ。名前も性別もわからない。
にゃーにゃーと玄関先で鳴いている。私は三文判を押し、気の良さそうな配達員から受け取った。やれやれ、猫がどうなるというのだろう。箱の中には一週間ぐらいの個装になったキャットフードもはいっている。猫が必要になるのは、どうもこの一週間の話らしい。猫の手を借りると昔から言うが、私にはキチンと猫によって何かが解決される。つまりBが予定したということだ。いつもBは私の先を予測し、大抵そのおかげで解決している。リアルタイムに膨大なデータを処理し、判断するBの予測のおかげで、私たちの世間は無事に暮らしている。

かつての世間には無駄に捨てられるモノが大量にあり、大量に非合理的な選択の末に捨てられていたらしい。だがいまでは、捨てられるモノも、適齢期を過ぎて結婚できない男も女も僅かになった。統計的な微細な誤差は生まれるが、99%はあるべき場所に、あるべきかたちで配達員が届け、人々は平和な生活を営んでいる。そのおかげで私にも一人の妻と一人の娘、そして今日一匹の猫がやって来た。

「かわいい黒猫ちゃんねー」
と妻が言った。
「そうかな。なんだか人を食うような眼差しじゃないか」
「そうかしらねー」

妻は疑いということを知らないのんきな女だった。ふわふわっとした髪型をして、ふわふわっとした話をした。僕にとっては最高の妻であり、とても愛していた。ふわふわっとした彼女独特のファッションも大好きだった。

「じゃあ箱から出してさ、皿にキャットフードでもあげなさいよ」
「そうね。学校から帰って来たら、あの子も喜ぶわね」
「あの子って呼ぶなよ、真理って呼びなさいよ」
「そうだったわね、ごめんなさい」

 私たちの娘である真理も、配達員が届けてきた。もちろん血のつながった私たち夫婦の子供であるが、それは遺伝子の話であり、妻がお腹を痛めた子供ではない。ある朝、標準出産プロセス採取キットが配達され、私の精子および妻の卵子を採取し、そこから生まれたのである。母体がどこの誰かはしらない。Bがその方が良いと判断した結果である。妻の右目の下には小さなホクロがあり、娘も同じようにホクロがある。右耳のかたちは、私の耳と似ている。ちゃんと私たちの子供である。
 
「ただいまー」
「あっ、おかえりなさい。真理ちゃん」
「お母さん、なにか声がしない」
「そうそう、この子が今日からウチ家族になったのよ」
「あっ、猫ちゃんだー。かわいいわねー」
「綺麗な毛並みでしょ」
「うん、ほんとうに夢で見たような猫ね、お母さん」

 猫は差し出されたキャットフードを旨そうに食べている。そろそろ夕方だ。私は仕事に出かけなくてはいけないと、支度をはじめた。私の仕事は街の巡回をする役目だった。勿論、Bの眼が隈なく通りを監視しているのだけれど、私は毎日19時から23時の間、街を歩き、出会った人々に声をかけ、世間話をし、その報告書をまとめ、翌朝までにBがデータを回収する。
 
いってらっしゃいと家族に見送られ、私は次第に暗くなる街に出かけた。運河沿いのガス灯の灯った街並みは、美しかった。次第に暮れていく陽の光が、家々の窓ガラスに反射してきらきらと輝く。運河沿いを南へとゆっくり歩いていく。別段、毎夜のパトロールの行先は決まっていない。私は、今日は南へ、明日は東へと、自由に決める。ルートは指定されていないのだ。どういう意味があるのかは、私にはわからない。Bは広大無辺であり、人知が及ばない果てまでも考えている。運河には、時折魚の跳ねる音が響く。海が近く、潮の香りが漂う。水面に映る月を眺め、夜道を歩いていく。Bがコントロールする無人パトロール船が静かに運河を行きかう。

屋根瓦が葺かれた木造家屋が、整然と軒を連ねる東京の夜景。運河の水面に、家々の明かりや、街灯が反射している。およそ二世紀前の明治中期の都市がモデルになっているらしい。いまではこの美しい石垣のある運河が張り巡らされた東京であるが、かつて昭和時代中ごろから平成時代にかけては、長らく運河や河川のほとんどが失われ、コンクリートで覆われていたそうだ。高速道路と呼ばれる道路が張り巡らされ、今では燃料としては利用されない石油が莫大に燃やされ、一酸化炭素、二酸化炭素を大気にまき散らし、しかも何百万という人間の力だけで操作される自動車が、言うまでもなく日々事故を起こし、年に何万人もの人が死んでも、それに懲りることなく走り回っていたという。まさに狂気の沙汰である。静かな水面を眺めていると、そういうことがあったことなど想像するのも難しい。先人が努力をした賜物である。

映像では見たり、本で読んでみたりしただけだが、黒煙が満ちていたとか、水が汚れていたとかいう酷い時代があったのだ。よく人間は生きていたものだ。これは本当に不思議なものだと、私は思う。これも19世紀の産業革命からしばらくの間、ほぼ世界中の人が神を失っていたからだ。これは歴史が証明している。イデオロギーによる戦争、経済の活動による戦争等、地球を破壊するばかりの戦争や、脈絡のない経済活動が活発だったのもこの時代だ。原子力発電などというバカらしい試みもこの時代の負の遺跡である。事故の大方が、つまり人間の資質が原因であったとわかっていたが他に手はなく、すべてが人の脆弱がコミュニケーション能力を基軸に遂行されていたという。なんと人の手だけで核エネルギーを管理していたのだから笑ってしまう。初期段階のレベルのコンピューターも介在していたが、それは道具でしかなく、意思決定はすべて人間に任されていたのだ。愚かな時代を呪いながらも、今の私たちの幸せを噛みしめる。Bが目覚めたのは、たかが半世紀前であるのに、いうまでもなく世界は一変したのだ。つまり人間が主権をBに委譲した歴史的な転換点なのである。それにより、すべての政治的な課題、経済的な課題はシステムがプランし、実行することになった。

いうまでもなく私はB以後の人間である。もはやB以前の人間は残っていない。過去の害毒により、早々にB以前の人間は死に絶えたらしい。俗に言われている「大審判」というわれる導入時期に。

やがて急に霧があたりに満ちてきた。視界がやがて三十メートル先、十メートル先と遠くが見えなくなり、街灯の明かりも薄ぼんやりとなり、運河を行きかうパトロール船もまったく見えなくなった。霧の森の中に迷う童話のなかの少年のように、私は不安になった。足元を照らすと、靴先くらいで霧が視界を遮ってしまうほどだ。

「人がやらなくて誰がやるんでしょうかね…」
暗がりから男の声がした。私は懐中電灯で先を照らしたが、白の光線が霧に反射し、その先にはぼんやりと影のような男が浮かび上がる。

「人類はじめての原発事故はアメリカで、スリーマイル島でした。事故の後、特別委員会を組織してはじめて日本では安全の行動に関する研究が開始されましたが、それからも高度化した技術が複合した装置、飛行機、原子炉等、さまざまな事故が多発しましたね、チェルノブイリ、フクシマ…。原子力発電の世界というのは、初めからきちっとした理論が整っていて、高い技術を応用して、素晴らしい技術者を養成して、設備も何もかもすべて完璧に整った状態ではじまったのですがね、それでも人間は機械をコントロールできなかった。人的ミスを糾弾したり、責任論ばかりが持ち上がったり、飛躍的に高度化する技術、ネットワーク経済に対し、人間社会の意思決定のプロセスが高度化することはできなかった…。情報ネットワーク、政治のネットワークプロセスにおいては、混乱するばかりで、世界はカオス状況になった。経済危機、食料危機と、富の分配の危機と、加速度的に社会の基盤は技術的に高度化し、地域的に拡大するにも関わらず、人間の判断は拡張できなかった。もはや施政者がコントロールするのが困難となったのです。しかしニューロ・アーキテクチャーの導入及びネットワークにある人間動向をリアルタイムに反映させるBの原型が開発され、ひとつの希望が生まれた。人間主権の社会から、人間安全の社会へと舵を切り、主権をBに委譲することが計画されたのですよ。不確実性をミニマムにしていくために」
 
霧のたちこめた暗闇から語りかけていた男が近づいてきた。ぬぅっと現れるその姿は、まるでナマズのような風貌だった。ぬるっとした艶のある山高帽を被り、ぎょろりとした大きな目玉で私をじっと見た。

「こんばんは、私はながいあいだあなたを待っていました」
「どちらさまで。人違いじゃないですか」
「いやいや。あなたさまの娘さんは真理さんですよね。私はあなたをよーく存じておりますよ」

 娘の学校の関係者なのだろうか。確認しようとディバイスを動作させるが、じっと見つめられているので視線を動かすことも躊躇いながらも、ようやく私の視野の中に、監視ディバイスが現れる。脳内で視覚情報にダイレクトにリンクしている監視官専用データベースだ。顔認識データをサーチするが、検索不可能と現れる。どうも彼の姿をBが認識しないらしい。はじめての経験だった。
 じろっとナマズ紳士は私を見た。薄笑いを浮かべている。なにもかもを見透かされているような気がし、ざわっと背筋が凍る思いがした。私はBの外側に出てしまったらしい。

「さあ霧の晴れないうちに行きましょう」
 ナマズ紳士は私の肩をぽんと押し、なすがままに私は連れられていった。霧が私の鼻孔を湿らし、催眠剤でも吸い込んだようにぼんやりと意識がゆらぎはじめる。霧のぼんやりした幕間から、ナマズ紳士の小さな手が伸びてきて私の右手をひいていく。どのくらい霧の中を歩いただろう、3キロくらいは来たのではないか。やがてごつごつしたアスファルトの道路へ出ると、次第に霧が晴れてくる。
 路地裏にネオンの明かりが猥雑に輝いている。私はいままでに来たことのない土地だった。スナックあかね、パンドラ等、プラスチック製の電光看板が道路に乱雑に並び、いたるところ路面がガタガタで水がた真理、排水溝が詰まって異臭を発している。向こうから歩いてくる中年の男女は、酔っ払った女の豹柄のストールを二人の肩にだらしなく回し掛けし、ゲラゲラ笑いながら横を過ぎる。どこかの店の調子のおかしいスピーカーから、ぐわんぐわんと凡庸な演歌が響いてくる。それにしてもこの低俗な街にもBが介在しているのだろうか。が、私の監視官用データベースも、視覚情報ユニットも、やはりまったく動作しない。暗渠の上の公園を見ると、酔っ払いが汚物を吐き出している。
「あんたなにじろじろ見てんのよ」
 金髪に染めた髪にところどころ白髪が交じった女が私に絡む。禿げた男も馬鹿ヤローとか呂律が回らぬ口で罵声を飛ばす。
すると、ナマズ紳士が手に持っていた銀の杖(さっき霧の中で手に持っていただろうかと思うと定かではない)で女の尻をポンと叩くと、じろっと女を睨みつける。すると威勢はどこに行ったのか、行こう行こうと男と一緒に路地へ消えていく。ナマズ紳士は何者なのだろうか。やがてコンクリートの壁に黒カビの生えた雑居ビルへと、ナマズ男は入って行った。暗がりには裸電球がつり下がり、じりじりと音を発している。廊下の奥は薄暗く行き止真理が見えない。もし入っていけばと考えると、私は空恐ろしくなった。もはや私がいた東京の我が家へはもう戻ることができないかもしれない。あの三毛猫の鳴き声を聞くこともないかもしれない。

「さあ、さっさと先にいきましょう」
 ナマズ紳士は低い声で追い立てた。しかし、私が躊躇っていると、ナマズ紳士がぐわっと瞳を見開きこう言った。
「いやこの先へ行くのか行かないのか。じゃあここでサイコロを振ってみましょうか。もしあなたがここでサイコロを振って6の目が出るとする。それはどのくらいの確立だろう。6が出なければあなたは直ちにこの場で私の手で…この銀の杖で撲殺され、犬のように血を流し絶命するのです」
「さあこれを手に」
 ナマズ紳士は私の手にひとつのサイコロ手渡した。私は汗が噴き出した右手でサイコロを握りしめる。
「いま君はサイコロを握っている。じゃあこの床に投げてみよう」
薄汚いコンクリートの床が艶めかしく裸電球に照らされ、いつもになくエロティックに感じる。私は殺されようとしているのに、気が狂ったのだろうか。
「その前に訊きたいことがある」
 と、ナマズ紳士はぎょろりとした目で私の瞳を覗き込んだ。
「あなたが死ぬのは何回ですか」
「それは1回でしょう」
「そうですね、では死ぬ可能性は」
「サイコロの目が6つだから、6分の1でしょう」
「そうですね。でも6分の1だけ死ぬことはない。私の銀の杖で頭蓋骨を砕かれ死ぬか、殴らずに生き残るか、どちらかしかない」
「死ぬか生きるか…」
「まあいい。サイコロを返しなさい」
 ナマズ紳士はそういって、強引に私の右手からサイコロを取り上げた。

 恐怖のせいだと思うが、私はまったくナマズ紳士に逆らう気力を失ってしまった。いわれるがまま、犬のようにあとをついて行った。廊下は気が遠くなるくらい長い道のりだった。数百段の階段を登り、奈落のような谷にかかる橋を渡り、いったいここは外なのだろうか、それとも内なのだろうか、もはや境界が曖昧になって判然としなくなる。
 やがて滝が滔々と落ちる沢を抜けると、山間の温泉街に出た。錆びたシャッターが閉じたままの薄汚れた街並みに、何軒かの宿が営業しているようだった。さびしげなホテルのネオンサインが点滅するY字路に差し掛かったところで、小さな頭の男が現れた。その頭部はとても小さく、まるで野球のボールぐらいの大きさしかない。茶色のフェルトでできた大ぶりのコートから、ひょいと顔をだすと、またひっこみ。またひょいと頭が現れる。まるでコーヒーのドリップがぽとりぽとりと落下するかのような動きだ。形のさだかでない彼の頭部は、まさに液体なんじゃないかとも思う。顔自体も、よくわからない。だがナマズ紳士は、その男と親しいらしい。私を少し後ろに置くと、二人は密談をしながら先を歩いて行った。
 
「仮説W…がだめになったよ」
「また全滅かい。いやだね、かわいそうに」
「すると仮説F…の次には、どうなるんだね」
「益々、生きる道がなくなっていくのかい」
「いやいや仮説F…の側にもね」
「いやだね、益々いやになってくる」

 暗黒が目の前に示されるとしたら、多分こういう顔をしているのだろうと、私は実感した。恐ろしさで背筋が痺れてくる。それほどに二人の会話とその醸しだす空気は、世界の光を奪い去り、大量殺戮を指先の蚊を潰すにも等しい振る舞いを行う、いわば悪魔にも近しい。その通り、悪魔が私を連れ去ったのだろうと無理やり思いこもうとするが、まだそこまで理性がやられていないようだ。

「そろそろ終わりにしようかと思う」
「いつだい」
「次の彗星が現れた晩にしよう」
「そうかい。君がそういうなら仕方ない」
 と、ナマズ紳士は深く息を吐いた。
「ところで後ろにいる彼は誰だい」
「先生の仕事を手伝うのによろしいか男かと」
 ナマズ紳士は私を手招きし、私は先生と呼ばれる男に紹介された。
「君はまだ私のことが見えないね」
「はい。先ほどからあなたの顔も、頭もなんだがぼんやりした影でも追っているような具合です。いまでもどういうお顔なのかも、わかりません」
「ははは」
 ナマズ紳士は笑い声をあげた。拍子にぬめりのある帽子を地面に落としてしまうほどだった。失礼と帽子を拾い、埃を払った。
「すみません、先生。まだこちらの世界に連れてきたばかりでして」
 と、ナマズ紳士は言った。
「来たばかりで私がいることがわかるだけ結構じゃないかね」
「そうですか」
 ナマズ紳士は納得しなさそうな顔をした。もっと私を懲らしめたいと思っているのだろうか。
「1つ質問がある」
 と顔のない先生が訊く。
「ここに3つのドアがある。ひとつにはオートバイがある。これで君は好きなところへ逃げることができる。もうひとつには毒蛇、もうひとつには獰猛なライオンだ。さあどのドアを君はあける」
 顔のない先生が言うと、町中に急に3つのドアが現れた。音もなく、重さもないドアだ。にやにやとナマズ紳士は笑っている。
「私はこれを選びます」
 と、左端のドアを私は指差した。
「ほう」
「では私がひとつ君に教えよう」
 顔のない紳士は穿つような視線を浴びせ(目がどこにあるのかはわからないのだが)、突然その獰猛な動物がいるというドアをバンと開け放ち、すると彼の話の通り、一頭の雄ライオンが恐ろしい唸り声をあげて飛びかかる。しかし顔のない紳士はまさに平然と、自らの左手でライオンを軽々と握ってしまう。まるでライオンが虫になったかのように…。激しい煙があがり、そのライオンは消滅してしまった。万能の力を披露され、恐ろしいと思った事を悟られると、より恐ろしい事が待ち受けている気がした。私は平然を装い、彼の次の言葉を待った。
「さあこれで恐ろしいライオンはいなくなった」
 顔のない紳士は、液体のように安定しない顔を揺らせながら存在しない口で笑みを浮かべた。私は存在しない口と目が存在していることがわかった。顔がないのにどうしてそうわかるのか、私にもわからなかった。
「さあ君にもわかるだろう。これで君の恐ろしいライオンはなくなった。つまり…こちら開いていないドアか、もしくは君が選んだドアのどちらかに毒蛇がいるということだ」
 隣のナマズ紳士がニヤニヤ笑っている。
「君にチャンスをあげよう。一度選んでしまったドアには、もしかしたら…たぶん毒蛇がいるかもしれない。君は毒蛇を望んでいないだろう。だからオートバイを選ぶために、もう一度選びなおしてもいい。さあ、今度は2つのドアから選べばいいのだよ」
「これも生きるか、死ぬかだよ」
 そう言って、ナマズ紳士が私の肩をたたいた。
 私は聡明な人間を残そうとしているのか、それとも山師を残そうとしているのか、顔のない紳士の本意が掴めなかった。
「選び直します」
 と、私は答えた。
「ほう」
 と声を出し、ナマズ紳士は、顔のない紳士の方を見た。
「じゃあそれでいいのだね、君は」
 空気が振動しているのが、鼓膜からではなくからだ全体にしびれるほどに伝わってきた。顔のない紳士が膨らんだり、縮んだりと、もの凄い早さで運動を繰り返し、横にいるナマズ紳士は目をぱちくりとしていた。空は真っ赤に燃えあがり、季節もなく、場所もなく、時間もないような土地に放り出されてしまったようだ。私は怖くなかったが、だが次の瞬間には、ライオンに食い殺されている気もする。
 私は目を閉じた。

 すると、ドンっと、ドアからなにかが私の上に飛び乗ってきた。
 こうやって世界の終わりはやってくるのだと、私が思って目を開くと、私の上に乗っていたのは、朝やって来たかわいらしい黒猫だった。しかも私はいつも過ごしている寝室の布団の上にいた。夢でも見ていたのだろうか。私はまたBの世界に戻ってきたようだ。真新しい畳の匂い。清々しい生活が約束されている気がした。

「お前さん、よく戻って来られたね」
 と誰かが言った。私は四方を見渡したが、六畳間の畳の上には誰もいない。床の間の掛け軸の画の翁が喋ったのかと、じっと見る。
「どこを見ている」
 はっと私は真横を見ると、黒猫がいた。はっきりと人間の言葉を話している。別段私が狂ったわけじゃない。自分が真っ当な話者であるのだと知らしめるためか、黒猫はしっかりと私の眼を見据えた。
「猫が喋っているくらいで驚いちゃいけない」
 私は唾をごくりと飲み、先ほどの不思議な世界と、私の家にある六畳間が同じ世界なのだと、わかりはじめた。
「人は現実を見ることはできないだろ」
 と、黒猫は言った。
「人間の知能が百とするならば、Bの知性はその億倍も兆倍もある知性の海のようなものさ。ひとつの人格ではなく、多様な人格が包含されている世界だけれども、人間と違って、「想像」も「言葉」もいらない。「現実」を過去の「現実」のデータによって問題を解決していく。でも人間に伝えるためには、「想像」と「言葉」に変えていく。物語がなくちゃ、人間とは気が狂って死んでしまうだろ。でも悲しいことだけどさ、終わりつつある仮説世界のうち、残っているのはこの世界だけ。そのことをお前さんに告げに来たのさ」
 と、黒猫は顔を洗う。
「ところで、お前さんはBが何か知っているのかな」
 と黒猫が訊いた。

「Bはかつて人工知能と呼ばれていたコンピューターで、世界のバランスを常に計算し、実行し、私たち人間の生活も、地球の資源も可能な限り存続させるために動いている。その調和の中では、もはや戦争も公害も、資源の無駄も解消され、無意味に奪われる命もなく、平和に死ぬまで人間は暮らせるようになった。人間のために尽くしてくれるという意味では、私たちを導く神かも知れません」
 と、私が言うと、猫は吐き捨てるように言った。

「愚かだね、哀れになるくらい。人間は効率と安全ばかりを追い求め、生きていることと死んでいることがわからなくなっただけだよ」

 黒猫は神妙な顔をし、話を続けた。
 種としての人間をいかに繁栄させるかというミッションがBの目的だったそうだ。千の仮説を産み出し、その仮説ごとに九十億の人間を割り振ったのが、そもそものはじまりであり、ひとつの仮説ごとに、つまり九百万人毎に仮説世界が出来上がった。全体の最適なバランスを保つため、当時汚染の低い場所を見つけ、人々を分散させた。生産の管理も、適切な配分も、ほぼBの管理する機械や、役割を与えられた人間たちが行うために、Bは長らく思考したという。本当に長いあいだ、過去の膨大なデータに基づき、最大の幸福と安定を人間たちに与えられるのかを愚直に選択しつづけた。でも高度な知能を持っていたとはいっても、Bは人間に対して無知だった。「現実」を最大限に解決する事が、正しい成果になると考えていた。適切な衛生管理、十分な食料の供与、生活空間の提供を効率的な完璧に実行していたけれども、いくつもの都市は混乱し、監獄から出せと暴動が起こり、区分されたエリアから逃亡する運動が連鎖的にはじまってしまった。Bは泣く泣く、人類全体の平和のために(種の保存のために)相当の人間たちを処分した。同時に、人々が安定して幸福な生活をしていた社会のモデルをBは導きだそうとした。完璧な運用を目指すためにはと、B以前の時代を知っている潜在的な不安定要素となる人間たちも、次々にBが処分していった。その段階で、およそ人類の人口は千分の一にまで減ってしまったが、いくつかの集団の対立をシュミレーションし、禁じていた暴力の対立が安定を産み出すことも、また解決できない課題や、社会問題があることによって、人間たちが大人しくなることもわかってきた。「想像」と「言葉」の重要性をはじめて理解し、歴史の中から、人々が安定して幸福な生活をしていた社会のモデルを導きだすために、さまざまな実験と操作が繰り返されたが、今はもう私のいるこの仮説世界しか残っていないという。

「銀河もやがて衝突する。でもずっとずっと先の話で、そんな時にはお前さんも私も、塵になっているさ。そんな先の話だってBは知っている。でもそんな未来では、確実に私たちはいなくなっている。でも今は、人間たちは生きているじゃないか。まだまだ長い間生きて行ける。もう選択をBに任せちゃいけない。お前さんがやりたいように選択しなきゃ、もう人間は生きていけない。安全で、効率的で、正しい答えなんて宇宙には存在しない。もう世界を救うことができるのは、人間しかいないんだよ」
 
 最後に黒猫はそう言って、パッと宙に消えてしまった。

(了)

 
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 23, 2017

免疫関係の病になって

フィッシャー症候群という病気になった。
免疫系が暴走し、神経を破壊していくという病だ。まるで森が野火で焼けるように、からだのなかの神経が焼かれ、その関連する場所への連絡が絶たれ、そのまま麻痺していく。

 はじまりは日曜日の早朝に、視覚の異変を感じてからだった。目覚めて何か眼球を押してしまい歪みが引き起こしているのかと思うが、中々収まる気配がない。視覚の周囲に違和感を感じる程度だったので、そのうちに治るかと一日を過ごした。まだ自動車を運転し、洗車に出かけることが可能だった。だがそれが予兆に過ぎないとは、その時点ではわからなかった。

 翌日、目覚めると、世界は酷くなっていた。柱が交互に交錯する視界が広がり、自宅の螺旋階段が二重になっていて、まるで転落を誘うかのようだ。片目を押さえてみると、視界が通常になるとわかり、仕事を朝一番に済まし、眼科を受診した。眼の異常が急に出るのは、脳のなにかが関係しているというくらいの想像はできたので、脳腫瘍等もあるかもしれないとか想定しながらも、まずは眼科で眼圧等を知るのが良いと思ったからだ。銀座の別院でのMRIの検査もしたところ、脳の血管も正常であり、脳にも梗塞の跡も腫瘍もなかった。しかし副鼻腔炎が酷い状況だと、膿が全体に溜まっているので確認できた。眼科は兎に角神経が安定しない状況で何もできないという。矯正して視覚を治す段階でもないらしい(通常の乱視とはわけがちがうようだ)かかりつけの町医者の耳鼻科に電話をすると、眼に来る状態だったら大変だよ、薬をとにかく飲み続けるように言われ、翌日は良くなるかと思いつつ、眠った。

翌日友人の耳鼻科医に相談する。すると、もし眼にまで至る耳鼻科の症状だとすると、大変危険であり、緊急手術の事態だと言われる。起きて見ると、治るどころか、更にからだの具合も変であり、眼だけでなく、からだが風邪とは違い、ふらつくような感じだった。そして友人の医者も薦める大学病院の耳鼻科を受診したが、その場では耳鼻科の深刻な状況は見つからずも、神経内科を受診することに。

 その翌日大学病院にて神経内科の受診となり、その受診にてはじめて病名の可能性を知らされる。ギランバレー症候群の亜種、フィッシャー症候群の可能性が高いということであり、直ぐ検査の必要があるという。帰宅し翌日に通うことは辛く感じたため、そのまま入院することに。症状が出てから、三日目で正しい入り口に辿り着くことができた。はじめて病院に入院し、髄液検査、血液採取、モニター装着という状況だった。急な入院だったので、免疫系の症候群に罹患してしまい、視覚異常が酷く、万華鏡のよう。月曜日朝急になって、最初脳関係と思いつつも、眼科に。そこから巡っていまは神経内科。検査やなんやら、来週末までは静養しておりますと、友人、仕事関係者には連絡した。片目だとおぼろげながらメールが打てた。

 当初は自分が長患いをするという意識がなかった。医者は二週間でピークが着て回復に向かいますというので、少なくとも大船乗ったように、漫然と安心をしていた。そもそもまだ確定しなかったが、そのフィッシャー症候群とは、視覚障害、麻痺、運動障害の3つの症状が、抗体が神経を引き起こすことによって起きる病である。二十万人に一人が罹患するというような難病であるらしいが、ほぼ完治するので指定はされていないそうだ。しかし経過は至極単調に見えていて、実際は軽いものではなかった。まず足や手の反射がなくなっていく。つまりは足や手が軽く麻痺していくようなもので、まず左手の内側、右手の内側が痺れたように感覚がなくなっていく、その状況でもしゃべりであるとか、顔の動き等には問題がなかったが、右目が下がってきているような感じではあった。(左目でものを見ているからだと僕は判断していたが)

「いーっとしてください」
 いーっとすると口の口角があがる。主治医の女医は、うーとかいーとか顔の動きをチェックし、手や足をかなづちで叩いて反射を確認、歩かせて歩行の安定を観る。最初は普通に歩けたのだが、日を追うごとに歩くのが左へ傾く。そもそも右目の視覚が三十度程度傾いているからと思っていたが、そうでもないみたいだ。
 体温、血圧、脈拍をはかり、日々が過ぎて行く。二十代前半の若い看護婦が日に三回チェックをする。
 
 珍しい病気なので、大学病院の学生等が視察に頻繁にやってきた。病状は進行し、食べることも(麻痺のため)困難になっていった。唇が動かなくなり、顔の筋肉はほぼ麻痺し、表情がなくなった。困難になるのだが、自分はひどく客観的に事態を認識していた。やがて主治医の様子が慌ただしくなり、緊急の治療をすべきだという結論になって、血液製剤の投与となった。身体中の抗体を他人の抗体を大量に投与することで希薄化するのである。自分の免疫が神経を攻撃しているのだから、その連中を少数派にするということなのだろうと理解した。

一日7時間の投与を5日間すると、顔は腫れるし、皮膚には水疱ができる等、つらいものだった。その後看護婦が話してくれたのだが、たまたま顔や手の麻痺であるが、呼吸器が麻痺する場合もあり、その場合は人工呼吸器で長い間過ごすことになってしまう。(病院では呼吸が止まってもモニターでわかるから大丈夫ですと、看護婦は笑っていたが)が、さいわいにそれ以上の悪化は投与によって起きないだろうということで、数週間の入院後退院した。

現在は半年が過ぎて、視界もほぼ元に戻った。ふらつき(運動神経)は、約一ヶ月で元に戻り、麻痺は少々残っている気がするが、他人から見ての顔のお面のような状況や歪みはなくなった。

****

他の同じ病気になった方のブログを見て、経験を参照してとても安心できましたので、体験を書いてみました。特に、他山の石として、不可思議な病と感じたら、すぐに大きな病院に行くべきと知っていただければ幸い。難病になると様々な民間療法等を周りから勧められますが、現代医学の他は、気持ち良いマッサージのようなものですので、回り道はしませんように。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 10, 2016

「情報」と「言葉」の錯誤の果てに


僕自身も深く仕事では関わっているけれども、膨大なデジタル「情報」はその果てに、「死のメディア」になりうる警鐘を鳴らしたい。
 いくらメディアの多様性や未来性を論じたところでも、「情報」と「言葉」とは同じではない。「情報」は「言葉」等を置換したものも含まれるが、「言葉」は生きた人間の発した声、または記録とての文字である。「言葉」は人間が作り出したものであるが、常に生きている。しかし一方「情報」は生きたものではない。「情報」は電子機器の中でも動作するけれども、「言葉」はかつて生きた人たちが産み出した魂のバトンだ。
「情報」は生きていない装置にも宿るが、「言葉」は決して生きている主体の外には存在しない。なぜなら、「火」というものは、「熱さ」を含有する事はない。つまり「火」に触れた主体の経験があってはじめて、「熱さ」が存在し、その「言葉」があるのである。デカルトを援用するならば、「火」の延長には「熱さ」は存在しない。「熱さ」とは生きた魂=主体の痕跡なのである。
 蓋し現在人を惑わす危険な「道具」は主体をイミテーションした存在である。具体的にはSiriのような道具は、あたかもその向こう側に主体がいるような錯覚を産み出すが、それは人間が人形に自己を投影し、反射している影に過ぎない。しかしまるで生きていたり、全能のように錯覚する先には、恐ろしい危険が満ちている。
 世間で言う「ディープ・ラーニング」は、膨大なWEB空間のその先には人間が書いたり、または発した「言葉」が満ちていると思い、それをまとめた「集合知」を参照しているのだと、多分想定しているのだろう。しかしそこには明快なプロトコルが介在し、操作している。結果(世界に平均的な人間は一人も生きていないように)主体のない「道具」が計算した結果に過ぎないのである。しかし人は、「言葉」を主体の示顕であると見なしてしまう。私たちは「生きていない主体」が発する死の深奥から沸き出す声に耳を貸してしまっているのだ。空虚の中に存在する幻聴である。
 「情報」は「言葉」ではないと理解し、あまりにも「道具」が人間の振りをする事態には、慎重でなくてはならない。過信した果てには、「ラジオ」が産み出したファシズム以上の惨禍が引き起こされる芽が潜んでいると思う。人形の吹くラッパに、殺し合いが起きる可能性があるからだ。
「生」は記録できない。また至極便利なものでもない。日々一回性のなかに、私たちは存在しているのだという、本質を見失う事こそ恐ろしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«佐野氏の謝罪姿勢に関する妙な違和感