August 23, 2017

免疫関係の病になって

フィッシャー症候群という病気になった。
免疫系が暴走し、神経を破壊していくという病だ。まるで森が野火で焼けるように、からだのなかの神経が焼かれ、その関連する場所への連絡が絶たれ、そのまま麻痺していく。

 はじまりは日曜日の早朝に、視覚の異変を感じてからだった。目覚めて何か眼球を押してしまい歪みが引き起こしているのかと思うが、中々収まる気配がない。視覚の周囲に違和感を感じる程度だったので、そのうちに治るかと一日を過ごした。まだ自動車を運転し、洗車に出かけることが可能だった。だがそれが予兆に過ぎないとは、その時点ではわからなかった。

 翌日、目覚めると、世界は酷くなっていた。柱が交互に交錯する視界が広がり、自宅の螺旋階段が二重になっていて、まるで転落を誘うかのようだ。片目を押さえてみると、視界が通常になるとわかり、仕事を朝一番に済まし、眼科を受診した。眼の異常が急に出るのは、脳のなにかが関係しているというくらいの想像はできたので、脳腫瘍等もあるかもしれないとか想定しながらも、まずは眼科で眼圧等を知るのが良いと思ったからだ。銀座の別院でのMRIの検査もしたところ、脳の血管も正常であり、脳にも梗塞の跡も腫瘍もなかった。しかし副鼻腔炎が酷い状況だと、膿が全体に溜まっているので確認できた。眼科は兎に角神経が安定しない状況で何もできないという。矯正して視覚を治す段階でもないらしい(通常の乱視とはわけがちがうようだ)かかりつけの町医者の耳鼻科に電話をすると、眼に来る状態だったら大変だよ、薬をとにかく飲み続けるように言われ、翌日は良くなるかと思いつつ、眠った。

翌日友人の耳鼻科医に相談する。すると、もし眼にまで至る耳鼻科の症状だとすると、大変危険であり、緊急手術の事態だと言われる。起きて見ると、治るどころか、更にからだの具合も変であり、眼だけでなく、からだが風邪とは違い、ふらつくような感じだった。そして友人の医者も薦める大学病院の耳鼻科を受診したが、その場では耳鼻科の深刻な状況は見つからずも、神経内科を受診することに。

 その翌日大学病院にて神経内科の受診となり、その受診にてはじめて病名の可能性を知らされる。ギランバレー症候群の亜種、フィッシャー症候群の可能性が高いということであり、直ぐ検査の必要があるという。帰宅し翌日に通うことは辛く感じたため、そのまま入院することに。症状が出てから、三日目で正しい入り口に辿り着くことができた。はじめて病院に入院し、髄液検査、血液採取、モニター装着という状況だった。急な入院だったので、免疫系の症候群に罹患してしまい、視覚異常が酷く、万華鏡のよう。月曜日朝急になって、最初脳関係と思いつつも、眼科に。そこから巡っていまは神経内科。検査やなんやら、来週末までは静養しておりますと、友人、仕事関係者には連絡した。片目だとおぼろげながらメールが打てた。

 当初は自分が長患いをするという意識がなかった。医者は二週間でピークが着て回復に向かいますというので、少なくとも大船乗ったように、漫然と安心をしていた。そもそもまだ確定しなかったが、そのフィッシャー症候群とは、視覚障害、麻痺、運動障害の3つの症状が、抗体が神経を引き起こすことによって起きる病である。二十万人に一人が罹患するというような難病であるらしいが、ほぼ完治するので指定はされていないそうだ。しかし経過は至極単調に見えていて、実際は軽いものではなかった。まず足や手の反射がなくなっていく。つまりは足や手が軽く麻痺していくようなもので、まず左手の内側、右手の内側が痺れたように感覚がなくなっていく、その状況でもしゃべりであるとか、顔の動き等には問題がなかったが、右目が下がってきているような感じではあった。(左目でものを見ているからだと僕は判断していたが)

「いーっとしてください」
 いーっとすると口の口角があがる。主治医の女医は、うーとかいーとか顔の動きをチェックし、手や足をかなづちで叩いて反射を確認、歩かせて歩行の安定を観る。最初は普通に歩けたのだが、日を追うごとに歩くのが左へ傾く。そもそも右目の視覚が三十度程度傾いているからと思っていたが、そうでもないみたいだ。
 体温、血圧、脈拍をはかり、日々が過ぎて行く。二十代前半の若い看護婦が日に三回チェックをする。
 
 珍しい病気なので、大学病院の学生等が視察に頻繁にやってきた。病状は進行し、食べることも(麻痺のため)困難になっていった。唇が動かなくなり、顔の筋肉はほぼ麻痺し、表情がなくなった。困難になるのだが、自分はひどく客観的に事態を認識していた。やがて主治医の様子が慌ただしくなり、緊急の治療をすべきだという結論になって、血液製剤の投与となった。身体中の抗体を他人の抗体を大量に投与することで希薄化するのである。自分の免疫が神経を攻撃しているのだから、その連中を少数派にするということなのだろうと理解した。

一日7時間の投与を5日間すると、顔は腫れるし、皮膚には水疱ができる等、つらいものだった。その後看護婦が話してくれたのだが、たまたま顔や手の麻痺であるが、呼吸器が麻痺する場合もあり、その場合は人工呼吸器で長い間過ごすことになってしまう。(病院では呼吸が止まってもモニターでわかるから大丈夫ですと、看護婦は笑っていたが)が、さいわいにそれ以上の悪化は投与によって起きないだろうということで、数週間の入院後退院した。

現在は半年が過ぎて、視界もほぼ元に戻った。ふらつき(運動神経)は、約一ヶ月で元に戻り、麻痺は少々残っている気がするが、他人から見ての顔のお面のような状況や歪みはなくなった。

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他の同じ病気になった方のブログを見て、経験を参照してとても安心できましたので、体験を書いてみました。特に、他山の石として、不可思議な病と感じたら、すぐに大きな病院に行くべきと知っていただければ幸い。難病になると様々な民間療法等を周りから勧められますが、現代医学の他は、気持ち良いマッサージのようなものですので、回り道はしませんように。

 

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April 10, 2016

「情報」と「言葉」の錯誤の果てに


僕自身も深く仕事では関わっているけれども、膨大なデジタル「情報」はその果てに、「死のメディア」になりうる警鐘を鳴らしたい。
 いくらメディアの多様性や未来性を論じたところでも、「情報」と「言葉」とは同じではない。「情報」は「言葉」等を置換したものも含まれるが、「言葉」は生きた人間の発した声、または記録とての文字である。「言葉」は人間が作り出したものであるが、常に生きている。しかし一方「情報」は生きたものではない。「情報」は電子機器の中でも動作するけれども、「言葉」はかつて生きた人たちが産み出した魂のバトンだ。
「情報」は生きていない装置にも宿るが、「言葉」は決して生きている主体の外には存在しない。なぜなら、「火」というものは、「熱さ」を含有する事はない。つまり「火」に触れた主体の経験があってはじめて、「熱さ」が存在し、その「言葉」があるのである。デカルトを援用するならば、「火」の延長には「熱さ」は存在しない。「熱さ」とは生きた魂=主体の痕跡なのである。
 蓋し現在人を惑わす危険な「道具」は主体をイミテーションした存在である。具体的にはSiriのような道具は、あたかもその向こう側に主体がいるような錯覚を産み出すが、それは人間が人形に自己を投影し、反射している影に過ぎない。しかしまるで生きていたり、全能のように錯覚する先には、恐ろしい危険が満ちている。
 世間で言う「ディープ・ラーニング」は、膨大なWEB空間のその先には人間が書いたり、または発した「言葉」が満ちていると思い、それをまとめた「集合知」を参照しているのだと、多分想定しているのだろう。しかしそこには明快なプロトコルが介在し、操作している。結果(世界に平均的な人間は一人も生きていないように)主体のない「道具」が計算した結果に過ぎないのである。しかし人は、「言葉」を主体の示顕であると見なしてしまう。私たちは「生きていない主体」が発する死の深奥から沸き出す声に耳を貸してしまっているのだ。空虚の中に存在する幻聴である。
 「情報」は「言葉」ではないと理解し、あまりにも「道具」が人間の振りをする事態には、慎重でなくてはならない。過信した果てには、「ラジオ」が産み出したファシズム以上の惨禍が引き起こされる芽が潜んでいると思う。人形の吹くラッパに、殺し合いが起きる可能性があるからだ。
「生」は記録できない。また至極便利なものでもない。日々一回性のなかに、私たちは存在しているのだという、本質を見失う事こそ恐ろしい。

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September 02, 2015

佐野氏の謝罪姿勢に関する妙な違和感

 世間を騒がしている、パクリ騒動についていろいろ考えてみる。

 そもそも一度身体を濾過した表現は、贋作つくるつもりで意識的にやらないかぎりは、中々パクリとはならない。20世紀の最後の数年に、多くのデザイナーも、コピーライターも、肉体性を捨て始め、作業が電子化し、ソフトウェアのプラットフォームで仕事をするようになり、多くの仕事は参照とアレンジの効率化になっていったと思う。スピードも早くなり、制作に費やす時間も、思考も、相対的に低くなる一方で、アウトプットばかりが求められるようになった。それに従ってプロの仕事と素人仕事の境目を、理解できる人が少なくなった感がある。

 作る側は、本来は考え方からはじまりアウトプットに至るプロセスで進むが、アウトプットからアウトプットを想像する、すなわちプリコラージュ(器用仕事)が、より重宝されるようになった。(勿論デジタル以前からあったが)つまりファッションデザイナーに対するスタイリストであり、音楽家におけるアレンジャーのような存在が台頭し、ツールの高度化によってアウトプットがプロレベルと一般的には差を見つけにくくなり、その商品価値も高まったからだと思う。

 またさまざまなICTツールのコモディティ化とともに、世間では権利の登録に関する意識ばかりが増大した。同時に、制作側の論理など知らずに、無料で膨大なアウトプットを享受できる時代になり、情報に関するリテラシーは飛躍的に高まった。

 そもそも日本には、本歌どりや、引用を用いて表現を産み出す伝統というものがある。その感性は、表現を個人に帰する登録というものではなく、文化の共有者に対する寛容さに基づく。しかし忘れてならないのは、元の表現者に対する尊敬の念があることだ。それはフランス語ではオマージュというのに近いかもしれない。そういう意味では、表現物=アウトプットを人から切り離し、まるでモノのように扱う人の品位が引き起こしている問題だと、一連の事柄を理解できるかもしれない。
 
 そこを鑑みると、佐野氏は、登録を侵害した不手際には謝罪の意を評したが、表現をモノ化していることについては、もしかするとネットに落ちている程度の作者に対しては、オマージュの意識はないのではないか。ただモノを拾ったとしか感じていないのではないか。
 
 多弁が過ぎた最後につけ加えるならば、多摩美であるとか、日本のグラフィック業界であるのか、そこには閉鎖的な村があり、村人以外を「人」とは考えないのではないか。ザハ女史の建築の問題でも露見した日本の非グローバル性が、オリンピックというグローバルイベントによりあぶり出されつつあるのかもしれない。

 

 

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