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May 2005

May 26, 2005

蕎麦と東京の記憶

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僕にとって、蕎麦は東京の記憶と繋がっている。

十年前くらいからだと思うが、蕎麦のヌーベルバークとして手打ちの新たな蕎麦などが出回っている。大抵、店のインテリア、そば猪口等から個性的あって、味が悪いというわけではない。それなりに真剣なスタイルの確立を目指している。但し、亜鉛版のインテリアであったり、鉄もどきの陶器であったりと閉口することは多い。でも大抵の食通とかいう雑誌には評価されている。水、そば粉等に拘り、手打ちのしっかりした食感に良いところがあるらしい。記事を読んで期待し、試してみることも少なくない。しかし僕にとっては、現代風の田舎そばに過ぎないと思う。蕎麦に関して僕はとてもコンサバティブである。

そういう僕が好きな蕎麦屋は、浅草、神田、赤坂等にある。中でも、祖母と通っていた三十余年前の想い出があって、赤坂の『砂場』が好きである。もはや韓国街になってしまっている赤坂において、かつて料亭が賑わっていた頃の風情をいまでも感じさせてくれる。

祖母は松竹蒲田で女優をしていた明治の女であり、僕が幼い頃に他界してしまった。その頃、祖母に手を引かれて歩いた記憶に見える光景は、青山通りを歩く左翼学生デモの群集、日劇のミュージックホールの電飾、青山ユアーズにあった芸能人の手形,,晴海通りを走る都電であったりと、今は失われてしまったものばかりだ。その同時代に力のあった事柄は、すっかりと消滅してしまった。

蕎麦をすすっていると、江戸の町人も同じような味を食っていたのだと感じいる時がある。江戸では辛い汁に蕎麦をささっとつけて食ったと、落語にもある。江戸でも、さまざまな地方から人が流入したこの五十年を経ても失われることなく、東京で同じような味が受け継がれて来たのだろう。

無論、懐古趣味というのはいやらしい。わざとらしく過ぎ去った時代を演出しているような店の、苦々しい馬鹿らしさを憎む。だからこそ、今も連綿と供される東京の味や文化を大切にしたいと思う。

僕は今日も、祖母と一緒に食べた蕎麦をすすっている。

<tokyotaro>

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May 19, 2005

戒厳令の白昼夢

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本物の戦闘用特殊車両が白昼に六本木ヒルズを方面を疾走していた。巨大なダンプカーよりも大型な車両である。右翼の抗議行動が激しくなっている近隣大使館に、(機動隊では役不足になってしまったて)派遣されたのだろうか…。しかしそれは杞憂であって、乗っていたタクシーの運転手が言うところ、自衛隊が協力したTVドラマのPRだそうである。

頑丈な装甲を持っているフォルムには迫力と機能美を感じた。さすがに操作は難しそうで、三名が四方に眼をやりながら操縦していた。それにしても迫力があり、普通の撮影用のハリボテとは違っている。こういう車両が攻撃をしたら、きらびやかな高層ビルも一瞬で廃墟になってしまうだろう。口径百ミリ強の機銃が陽光に輝き、異様な美しさを醸し出していた。それを否定するとか、肯定するとかを別にしても、武力はある種の生命力と連結していると思う。現実的に巨大な武力を見ると、畏敬を感じてしまう。

六本木ヒルズのルイ・ヴィトン前を疾走する戦闘車両は異様でした。こういう武力が活躍しない世の中であってほしいものです。

<tokyotaro>

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May 12, 2005

ゴルファーは禅が大切?

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ゴールデンウィークは書くことをさぼり、友達に誘われてゴルフをやった。千葉県の房総半島にあるコースで、晴れ渡ったグリーンと海から吹く風を感じていると心地が良かった。とても素晴らしい景色を見ながら、プレーが出来る。それでもゴルフをするたびに、やれやれと思う。なんでこんなプレーをしてるんだろうと。それでも同じ過ちを繰り返してしまうのである。

最近のゴルファーの技術と道具の進歩は著しい。昔、父がパーシモンのクラブを使っていたことが信じられないくらいである。女性ゴルファーでも、250ヤードを軽く飛ばしてしまう。それでもゴルフの本質は、道具でも技術でもなく、心にあるのだと思う。なんだかそう書くと、宗教くさい話になってしまうかもしれないけど。

ゴルフは止まったボールを打つだけである。野球、サッカーのように誰かが邪魔するわけでもない。何からも自由であるからこそ、心の影響を受ける。僕のようなへたくそ初心者でも、心が一番の障害であると感じる。
そんな時、『禅ゴルフ』の本を見つけ、読んでみた。なるほど思う。ゴルフの練習場から、すでに心のゲームははじまっているのだなと。まさに人生の戯画のように感じる。

そのひとつの話のあらすじは、こんな感じである。ある僧侶が茶を新入りの僧に入れる。茶器から茶がこぼれても僧侶が注ぎ続ける。すると新入りの僧がいう。『もうこの器に注ぐことは出来ません』と。すると僧侶は、『世間のものが詰まった器は、一度空にしなくては多くを学べないと』。ゴルフも同じく我流に拘泥し、新しいことを聞くことが難しい。確かにそれまで調子が良かったなら、そのやり方を捨てきれない。

先日、タイガーウッズがマスターズで勝利した。スイングを大幅に改造し、スランプを経ての勝利である。そういう姿勢には、畏敬の念を感じずにはいられない。

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