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April 2006

April 29, 2006

波は沖からやってくる。そして思い出は過去から現在へとやってくる。

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波を想うと夏が恋しくなる。

98年に僕が再びサーフィンをはじめたのは、どうしてだったかわからない。一度波に乗ってしまうと、なかなかその波の体験を忘れることができない。

僕の乗っているロングボードは9f6というサイズで、つまり284センチくらいある。僕の狭い部屋にあると、壁が一枚転がっているような感じである。僕は中古のワゴンを買った。サーフボードを運ぶため、2シーターのスポーツカーでは不足になったからだ。サーフィンはライフスタイルになってしまう。自動車だけでなく、住居、そして会社捨ててしまい、新しい世界に飛び込む人もいる。波はすべてを浚ってしまう。

サーフィンは1980年代初頭に大ブームになったことがある。渋谷にサーフショップができて、ファッションはすべてサーフィン系になって、トップサイダーのデッキシューズをはじめとする、サーフィン・ファッションが爆発的に売れた。それはまるで大波のようだった。バブル経済とともに大波がひいてしまい、それから20年、サーフィンは静かに好きな人たちによって海岸で行われるスポーツになった。それが最近またブームになってきつつある。でも20年前とは少し違う。

『次の海まで100マイル』という片岡義男の書いたエッセイがある。片岡氏は、1970-80初頭にアメリカの文化をベースにした小説・エッセイで一世を風靡した小説家だ。
その本の中で波について書いてある箇所がある。

「これまで人間が総合した波で最高のものはどのくらいなのだろう…記録がそっくり正しいとはかぎらないでしょうけど、高さで40メートルくらいかな…」

40メートル。13階建てのビルくらいある。波のエネルギーは波の高さの自乗に比例する。大きな波が来ると、テトラポッドが海のそこでゴロゴロと転がるそうである。

昔ハワイに自然発生していた波乗りは、白人の宣教師によって禁止された。波乗りは非生産的な享楽であり、時間の無駄だとおいう理由だったらしい。当時、裸でハワイ人はサーフィンをしていたそうだ。19世紀のことである。

波に乗りたいという人間の欲求はあったのだ。。1910年頃、ワイキキビーチに銅像がある、有名なサーファー、デューク・パオラ・カハナモクはカルフォルニアにサーフィンをし、500ヤード(350m)も波に乗ってみせたそうだ。

波という恐ろしい力を持った存在と一体になる時の幸福感。波乗りはなぜだか別の次元を見せてくれる。自然の力もそうであるし、またブームも人の心のなで湧き上がり、波のように突然に大きな力になる。

ハワイの持っている魅力は、多分そこにサーフィンの秘密がある。1998年の秋にサンディエゴでアロハ柄のケースに入れたロングボードを抱えて歩いていたとき、家族と一緒にいた白人のおばあさんが、「あなたハワイから来たの?」と嬉しそうな顔をして僕に声を掛けてきた。戸惑いながらも、僕は違うと言った。

たぶん彼女はカルフォルニアで青春を過ごしていたはずだ。1950年代のサーフィンブーム。そのサーフィンの思い出の奥には、遠いハワイがあるのだろう。

南カルフォルニアには、マリブというロングボードの聖地のようなポイントがある。半円形のでっぱりのような岬があって、波はそこを巻き込むようにできる。南カルフォルニアでサーフィンが流行したのは、1950年代の『ギジェット』というサーフィン映画がきっかけで、その当時、TVコマーシャルがなにからなにまでサーフィン一色になったそうだ。
「売れる夢がなくなりかけてた頃ですね。波乗りは最後の夢だったんじゃないか」と、片岡氏は言う。

波は沖からやってくる。そして思い出は過去から現在へとやってくる。

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April 16, 2006

バルセロナ・イースターの思い出

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再び春のバルセロナに行く。


先週の日曜日の早朝にカテドラルの近くを散歩していたら、棕櫚の葉を束ねた飾りを持った群集を見た。棕櫚の葉はキリストを祝福するしるしである。ちょうど欧州は聖週間(イースター)のはじまりだった。

キリストがゴルゴダの丘で刑死し、その後復活したという奇跡を祝う祭りであり、また古来から春を祝う祭りがあって、それが転化したという説もある。

僕は子供の頃、カトリックの教会のイースター祭りに従姉に連れていかれた事を思い出した。イースターというと、教会の庭に色とりどりの卵を隠して、それを探すという行事がある。そこで卵を探したのだけれど、見つけた卵をある男の子と取り合いになり、キリスト教なんて良くわかるわけもないから、争ってはいけないと尼さんに諌められた時、その男の子に卵をぶつけて逃げ帰ったのだった。まあ頭の悪いガキだったのだと思う。

投げた卵が粉々になって彼の服を汚した記憶は、僕にとっては鮮明だけれども、その彼は三十年も昔の事は覚えていないだろう。

その昔の彼の驚いた顔を想い、僅かながら、贖罪の気持ちが生まれた気がした。

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