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September 2007

September 10, 2007

Damian Hearstの髑髏、アートの現在

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ダミアン・ハーストの新作が話題になって久しい。髑髏にダイアをちりばめた作品は、すでに百億円以上の価格であり、それもリアルな髑髏一面にダイアモンドを惜しげもなく使って作られているのだから、非常に分かりやすく価格を正当化できる。

21世紀になり、現在年間5%を超える世界経済の膨大な拡張のなかで、1990年代の約6倍以上のお金が世界を駆け巡っているという。そこで誕生したのは、オイルマネーの大富豪ばかりでなく、その投資サービスを行う金融関係者であったり、新興国の事業家であったりする。彼らが自分たちを証明=現在のエスタブリッシュメントとして存在するために使う莫大な金が、アートマーケット、服飾品業界等、さまざまな奢侈産業に流れ込んだ。

顔のない金は、あたかもリアルな顔を持つ人になりたがり、新しい仮面を必要とする。もはや、アートマーケットも知性の台頭する領域でもなく、精神性が尊重される場ではなくなった。つまり、1億円の金でできた椅子だとか、PR目的で作られる話題性を創出するための”商品”と等価になったのである。大学の講師で、作家でもある椿氏の話では、現在のアートマーケットでは、「分かりやすさ」が大事であり、新しい作家を探して(新規商品確保のために)ギャラリー経営者たちは奔走しているそうだ。濡れ手に粟の状況、つまりバブルということだ。

古来、金は聖なるものだった。ギリシアの寺院には、貴金属、穀物が集められ、それを原資に”銀行”が誕生したという。無論その金が巨大な寺院建築も生み出し、世界の美術品は聖なる金が、新しい仮面=顔を生み出してきたのが人の歴史である。

その顔が、”アニメ風絵画”であったり、鮫の樹脂漬けであったり、この髑髏であるのが現在の社会である。アートは自由になったという人が多いが、表現されたものがすべてアートであるわけではない。しかし、現在そうでないと言い切れるものは誰もいない。行き場を失った金は暴走し、世界の秩序を破壊している。壮大なトランザクションが生み出すのは、蓋し欲望の平準化である。

ノアの洪水で流される民と同じく、世界の生活・文化が暴走する金に破壊されつつある。その破壊の果てに生み出される顔は、果して人の顔をしているのだろうか。

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