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September 2008

September 12, 2008

蔡國強の壮大な想像力と中国をめぐる誹謗

2008_footprints_olympics_fireworks_
北京オリンピックをめぐる話は、大変にネット掲示板を賑わせていた。
韓国の放送局が開会式の映像をフライングしてしまったことに中国のネットが噛みつき、閉会式で中国の映像に朝鮮半島から光が出ていない、日本海と表示がある等、韓国人もいつも通り高血圧気味に騒いだ。本当にやれやれと、村上春樹の登場人物ではないが思ってしまう。

その北京オリンピックを巡る不思議のひとつに、オープニングの花火に関するCG問題があった。巨人の足が花火で打ち上げられ、次第にその足跡がメイン・スタジアムに近づいていく映像だ。このプロジェクトは、万里の長城を1万m延長するプロジェクト等で名声を得、その後日本からニューヨークに活動場所を移して世界的なアーティストとなっている蔡國強の作品である。コンセプトだけで、やはり凄い人だと身震いする。日本人の作家とは、スケールが違う存在だ。

火薬、火は彼の作品の核となる要素であり、今回の花火もまさにそうだった。花火は現地でも上がっていたのは事実だが、映像はCGで補完されているというのが問題となった。日本のメディアは(僕はフジの朝の番組で笠井アナウンサーが得意げに批判しているのを見たが)まるで偽装体質の一環のように報じていた。

北京に関する過剰な批判は、少なくともこの件については、メッセージが大切なのであり、別にCGで補完していようと構わない。映像とはそういうものだ。映像が真実であり、真実は映像に写らないということを、理解していない。映像は真実を作り出すが、誹謗は真実も打ち壊す。

食品の安全、公害等、いまだから日本は批判できるのではないだろうか。無論中国人に文化的差異以上の問題がないというわけではないが、偽装米の問題は、現に日本人が引き起こしている。過去には日本人もまだ見識が浅かった時代はあったはずであるし、中国に対する日本人の負の感受性も少し過剰気味だと思う。

なんでも味噌糞一緒に言うのは正しくない。良いものは良いと認め、それだからこそ、誤りを指摘できるのだと思う。


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September 09, 2008

夏の京都・円通寺と比叡山の借景

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大雨に苦労しながら、晩夏の京都へ出掛けた。
新幹線に閉じ込められたりと道中は散々だったが、祇園のいづうで鱧寿司を食うと来て良かったと思った。
八月の末ということもあり、祇園にも人は少なかった。河原町の天よしというてんぷら屋で海老とキスを食い、木屋町のバーで地元の客と話した。明日から東京に行くけど、どこか良いとこないかと訊いてくる。東京は怖いんじゃないかと、彼女は言った。

京都は平日の昼間も活気があるわけではない。地方都市独特のゆっくりした時間が流れている。毎日東京の喧騒の中で生活していると、多分少しずつズレが蓄積していく。

円通寺は北山の向こうにある、後水尾天皇の御所跡であり、延宝6年(1678年)、文英尼を開基として創建されたという。借景で有名であり、ちょうど比叡山が良く眺められる臨済宗の禅寺である。しかし近隣の開発が進み、借景の一部にマンションが建つのだという。
その問題について、腹がたつのは理解はできる。しかし拝観料を払い、ここまで足を運び、せっかくその素晴らしい借景の比叡山を眺めているのに、そこの坊主がくどくどテープで愚痴を聞かせる。これはどうかと思う。

借景が失われていくかどうかは、京都人の問題である。観光産業を主とし、文化保全に邁進し、仏教界も過去から努力しているなら、そういう問題は起きていないはずだ。高さ制限、景観の保全等がしっかり機能しているならば、京都の街中に乱立するビル、マンション群もなかっただろう。京都駅のような最新の建築を望みながら、一方で古都であるという矜持を保つのは無理である。

そういう裏舞台は自分たちで努力していくしかないだろう。外から来る人に、さもありがたい御題のように押しつけるのは止めて欲しいなと思う。外国の人も府外の人も、素晴らしいと思えば尊敬するし、再訪を望むだろう。

街の姿は、そこに住む人の心を反映する鏡に過ぎない。


 

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