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October 2009

October 29, 2009

URTRA002@青山スパイラル 新進気鋭の画廊ディレクターたち

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画廊の名前ではなく、画廊に属するディレクターの名による展示というイベントである。主催者によると『才能あふれる51名の若手ディレクターが集結する、新形式のアートフェア』だそうである。画家や作品よりもキュレーターが現在の価値を表現するシンボルになったように、画廊の名前のバックヤードたちが表舞台に出るという嗜好らしい。

個人的には作家であってもアノニマス(無記名)であることを美徳と感じている私にとって、バックヤードの人々が表舞台に出ること自体は、またそれを説明責任の明確化だという観点から評価することもあるかもしれないけど、教育的な観点以外に意味あることとは思わない。

ざっくりとした印象は美術大学からの青田買いという風である。将来の才能を感じさせる作家もけれども、先鋭的なディレクターの挑戦というよりも、美大の学園祭というか、ゆとり世代のフェスティバルかなと辛口ながら感じてしまった。表現に生命力であるとか、知性を感じたいと無理を思うのは、僕が現在の美術業界の外に属しているからかもしれない。が、少なくとも東京モーターショーよりは明るい活気があるのが、日本の将来を考えると救いかもしれないとは思う。


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October 27, 2009

10/17/09・武道館にてアークティック・モンキースのライブを観る。

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Whatever People Say I Am, That's What I'm Not(Released on 23 January 2006 )は衝撃的だった。まさに現在ではイギリスにしか存在しないロックの伝統を継承する偉大なバンドだと思う。ロンドンにて偶然で出会った1stアルバムから3年が経ち、僕はようやくライブを聴く機会を得た。武道館という日本のロックの殿堂にて聴けるというのも、不惑の音楽愛好家には嬉しい。

武道館の中に入ると、客層は思いのほか若かった。
洋楽離れが叫ばれて久しいにも係わらず、安くはないチケットを買って来るのだからと、10代後半-20代半ばの聴衆たちを頼もしく感じる。欧州ではハイファッション/スタイリッシュな人々(Diorのエディ・スリマンスら)のラブコールを受けたロックムーブメントだが、日本の聴衆は、しっかりと老いも若きも、中央線(中野&高円寺系)たちである。

20代半ばの後輩と二人で缶ビールを飲みながら、彼らの登場を待つ。やがてステージに現れた彼らを見て驚いたのは、皆がロングヘア=70年代初頭のプログレッシブ風になっていることだった。あの若さほとばしるイメージは霧散してしまった。うーんこれはと、雲行きの怪しさを感じる。

3rd/Humburgからの曲・My Propeller 等も良い曲ではあるけれど、"I Bet you look good on the dancefloor", "Fake tales of San Francisco", "Perhaps Vanpires Is A bit strong but...."が聴きたいっていう聴衆が多かった思う。
それらの曲がかかると、皆が激しく踊りだし、アリーナフロアは熱気に溢れるのだが、やがてすぐHumburgからの曲(メローな)になって意気消沈するという状況だった。

アンコールになっても、僕の好きな"When the sun goes down"は演奏されなかったのは残念であるし、観客の要望を知りつつもはぐらかしている感もある。君らの能力も分かる、やりたいものも分かる。イギリスでは聴衆も理解できるのかも知れない。でもここは残念ながらアジアの果てなのだと、少し…分かって欲しかった。

若くして大物になってしまったバンドの難しさを痛感する一夜だった。tokyotaro

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October 06, 2009

86の復活。そんなこと喜んでいるのはオヤジだけかもしれないが…。

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トヨタは東京モーターショー2009に、小型FRスポーツコンセプト「FT-86 Concept(エフティー・ハチロク・コンセプト)」を出展する。
FT-86 Conceptは、08年4月にトヨタと富士重工業による共同開発が表明され、11年末に市場投入が目標のFRスポーツカーのコンセプトモデル。生産は富士重工業が担当し、トヨタとスバルの両ブランドで販売する予定だ。
エンジンは、スバルの伝統である水平対向4気筒自然吸気ガソリンエンジンを搭載、トランスミッションは6速MTだ。車名の86=ハチロクは、83年にトヨタが発売した小型FRスポーツカー、4代目「カローラ・レビン」「スプリンター・トレノ」の1.6Lモデルの車両型式番号「AE86」にちなんで名付けられている。

白物家電のような自動車が横行するこの頃(まあこれもトヨタだが…)ではあるけれど、日本グランプリでのトヨタ・トゥルーリの二位表彰台に続き、日本人のモータースポーツ愛好家にとって嬉しいニュースだ。社長の豊田氏が個人的にも、レーシングカーを運転するような自動車好きだから、はっきり時流に逆らうような自動車がリリースされるのだろう。(しかもアストンからIQをリリースさせてしまうような、エンスージアニストだ。)

日本市場の若者に刺激を与えるかどうかは未知数(無理かな…)とは思うけど、中国やアジアの新興国の若者たちにとっては、憧れになりうる可能性は高いだろう。

ヤングマガジンでは、いまだに現役でハチロクはバトルを繰りひろげているが、ヴァーチャルでない現実でわたしたちを興奮させて欲しいものだと、わたしは密かに願っている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091006-00000304-trendy-ind

(追記)
日経トレンディの取材によると、ターゲットはやはりオジサンらしい…。

メインターゲットは40~50代の男性。つまり80年代の若いころに、かつての「ハチロク」に乗っていた、あるいは憧れていた人々だ。「目指すのは、オヤジがカッコよく見えるクルマ。運転するお父さんを見て、息子が自分も乗ってみたい、運転したいという憧れや夢を抱くクルマにしたい」と多田氏はいう。そしてオジサンたちの楽しそうな姿から、若い人にも関心が広がってほしいと考えている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp:80/article?a=20091026-00000301-trendy-ind

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October 05, 2009

自衛隊の富士演習地にて、初めて軍事力の凄まじさを知る。

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自衛隊が実弾にて演習するというので、8月末に富士の演習場に初めて足を踏み入れた。これは毎年実施されている火力演習というもので、数万人の一般人が自衛隊の実技を見聞出来るイベントである。
90式戦車、軍用ヘリ、大砲、ミサイル、装甲車たちが、実弾を用いて、想定された4キロ前方の敵陣地を攻撃するのである。

自衛隊の能力と隊員たちの統率力は素晴らしかった。はじめて兵器の火力というもの間近で見たが、はじめて銃を撃ったときの数十倍の恐ろしさを感じた。わたしたちの都市は数台の戦車によって簡単に制圧されてしまうことも実感した。戦車の射程は5km精密射撃を可能にしているし、極論小型ミサイルを持った装甲車1台で、都市は麻痺するだろう。

兵器は破壊することにしか存在しないという、まさにタナトスの具現であった。死を現実化できる力しか、人間の暴走を制圧できないのか、それとも自身が存在することが暴走を生み出すのかは分からない。しかしそのタナトスは、存在する現実であり、世界において誰かが力をコントロールしなければならないという宿命を、わたしたちは引き受けなければならない。

村上春樹の小説を読んでいたら、小説に登場する銃は絶対使用されるというような一節があった。わたしたちの社会のコンテクストには、確実に「兵器」は存在しているし、日本においても、かつては著しい量の爆弾とともに、大量の死が発生したのは現実である。

フィクションのように存在する軍隊は、はやく現実の軍隊にするべきであると思う。目を背けていようがいまいが、確実にこういう兵器が世界には存在しているし、その力をじっくり認識していかなくてはならない。日本は戦後経済の隆盛の中で、戦後六十年過剰なエロスの力を具現した。しかしその潮は引きつつあり、やはりタナトスの力が現れて来るのは、歴史の摂理であるのだから。

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October 03, 2009

@モスクワ 東京オリンピックの敗退と、日本の総プチブル化について憂う。

モスクワは次第に寒くなり、気温は3度程度になった。でもモスクワっ子によると、まだ秋のはじまりくらいだと笑う。

そんな昨晩、東京のオリンピックの落選を聞く。負けたのは悔しいが、それよりも驚いたのはネットにおける反応だった。日本人が他の国が勝ったことに、悔しがる訳でもなく良かったとか言っている。ふーんと思って、そういう意見の人のブログの論旨を読んでみると、少しばかり唖然とした。

箱もの行政、格差社会、ゆとり世代等、日本がいくつかのキーワードで語られる。しかしそこにあるのは、現在の社会の支持体に関する痴ほう的な依存の姿である。ゆとり世代は自分らしく生きたい、社会はいまの持つ者からそうでない者になるべきだと言いつつ、なんの具体的な行動も無く、現状の社会にモラトリアムで依存している。老いたものたちは、年金の確保に奔走し、いまの社会の貯蓄を先延ばしすることに固執する。

日本という国がダイナミズムを失い、「リオありがとう」とか、「南米でやるのが良かったよ」とか、まるで世界の傍観者のような視点からコメントしているのには驚く。日本の社会がダイナミズムを復活させるのには、別にオリンピックだけではないが、経済を大きく動かす目標が必要である。

モスクワでテレビを見ていると、韓国は自分の国のPRを懸命にやっている。それは企業ばかりでなく、政府もそうである。

日本が老いも若きも隠居老人のように、またプチブルのように仮想の支配者として傍観者になっているようでは、足下にある危機を乗り越えられはしない。そんな高見からの見物をしているだけでは、日本はさっさと他国に食われてしまうだろう。

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