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October 2011

October 31, 2011

原子力発電の事故、状況、様々なコミットメント。

3月11日以降の6ヶ月間、特に東日本に住まう人々には、生活と潜在するリスクについて深く、また人生のなかにおける自分の立ち位置を検証する時間だったと思う。仕事、家族、生活等、1980年代以降に発展したメディア主導型の消費謳歌社会が、決定的な問い直しを受けた。その最大の理由は、言うまでもなく『福島第一原発事故』だった。

地震当初は、津波の被災エリアの決定的なダメージから、しばらくは原発の話はプライオリティに語ることが難しかった。が、時間が経つにつれ、さまざまな側面が露呈し、特に情報の開示については、電力村=電力マフィアと称される体質が糾弾された。しかし同様の体質は、日本中の何処にでも存在しているし、また鏡の中の自分に腹をたてるような、気持ち悪さがそこにある。まったくの外部にいる日本人はないし、あくまで内部からの闘争を行わなくては嘘である。

私は6月某日に、遠藤 哲也 (元IAEA理事会議長/元原子力委員会委員長代理)の講演を聞いてきた。元国連の明石 康氏が主催された原発問題を考察するイベントの「福島原発事故の影響~原発事故に国境なし」と題した講演だった。遠藤氏の講演は、まだ6月という異様な状況が現在ほども冷めやらない時だったこともあり、率直に語っていたという印象だった。あくまで外務省出身ということもあり、コミュニケーションの問題として原発を語り、技術的な問題については、専門家ではないが、中核にいた人間ならではの知見を感じた。

●原子力の問題は、天災で起きたが、その後の対応を含めては人災でもある。特に組織の在り方。
●10万マイクロシーベルト以下の低量放射線での人体の影響は、諸説をさまざまな立場の専門家(医師、技術者等)から聞いてきたが、悪いともいいともいえない。数字化=科学的な根拠がない。
●原子力の見直しは議論すべきだが、エネルギーの安全保障上の問題は重要な問題だ。

遠藤氏のポイントは、私がその後様々な専門家、関係者、つまり原子力を巡る様々なプレイヤーを理解していく足場となった。

人体への影響がどうなるかという議論については、今後の臨床的なデータの蓄積もあるし、内部被ばくを軽減するための人的及び官民一体の努力次第であるので、未だわからない話だ。但し、結局は責任のなすり合いにより現実的に存在している危機(特に高放射線の地域)にて、対策の不備は否めない。今なお続いている人災の側面からの可能性のある健康被害(特に放射能の受容性の高い子供たち)については緊急の対策をするべきである。そういう意味で、以下の課題解決は急務だ。

●潜在する危機に対するアクション(児童の疎開等)
●現在稼働または停止している原子力発電所における大規模事故のシュミレーション
●閉鎖している炭鉱の再稼働を含め、エネルギー安全保障体制の再構築

様々な利権を含む私たちの問題である側面がある。すべてを単純な経済状況とのトレードオフだけではなく、現在の政治がしなくてはならないのは、未来志向の課題解決だ。少なくとも半世紀のスパンの計画をつくるべきだ。民主党とか、自民党の次元ではなく、私たち全てがコミットメントするべき問題だという状況であることは、少なくとも東日本の人間は骨身に沁みている。

技術を捨てるという議論はあり得ない。必要が有る限り技術を人が抹消することはできない。核というパンドラの箱は既に開いてから半世紀以上継続している現実であり、冷戦後の私たちも莫大なコストを払い続けるという事態は不変だ。全廃を求めるだけの反原発運動はその意味では空論であり、いかに私たちがその技術とのスタンスを決定するための議論と、リーダーが不可欠なのだ。

兎に角、目を瞑る時ではない。


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